大きめのかばん(頻繁に使うから)が大きすぎて棚に入らない。
廊下の奥まったところのスペースに置かれて。。。
掃除の度にかばんを持ち上げて。存在感もあるから、「邪魔だなぁ。」と思っていた。
最近、ふと気づく。このかばん、全然使ってないじゃない。
ここに置いておく必要はないよね?
かばんがそこにあること、そこが定位置との錯覚。
もうそこにかばんがあることが景色の一つとなっていて、当たり前の景色。
使っていないなら、別の所にしまえばいいのに、何故、気がつかない。
視覚が怠けてる。脳も何の疑問も持たずに怠けてる。
以前も書いた、洗濯機につけていた、雑巾。そこに雑巾がある必要がないのに、当たり前の景色として、そこに雑巾がいて。
気づいて、しまう。スッキリ。
大きなかばん。今は使ってない。それならしまったら?
何でこんな単純なことに気がつかないのか?と自分にガッカリ。
スペースができて、掃除の度に持ち上げなくていいから、スッキリ。
必要がないのに、当たり前になっていて、疑問に思わないこと、他にもあるはず。
当たり前の景色を疑って、脳活!
脳活! ここになくてもいいもの
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